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師匠の靴が思い出せない

2010年04月19日 11:55

80年代の初頭、まだ大学生だったころの話。

ある日、一本の電話がかかってきた。バンドをやっていた俺がいつもお世話になっている音響屋からだった。
「演芸会のPAのバイトがあるけど手伝ってくれないか?」
その頃、ライブのPAは興味もあってよく手伝っていたが演芸の音響なんてマイク一本立てただけで、これといってオペレーションの技術的な面白みもないし。(じつは漫才や落語などの喋りのPAはごまかしが利かないので経験と知識が必要)、だいいち素人演芸会なんて退屈なだけで「なんだかなぁ~」って思ったが、とりあえずどのような内容なのか尋ねてみた。

「ああ、落語、桂枝雀の独演会だよ」
「えっ!やっ、やります、やります! お願いします!!」

てっきり地元の素人演芸会だろうから何か理由をつけて断ろうかと思っていたが、その一言でバイトの条件も訊かずに引き受けた。というよりタダ働きでも引き受けていただろう。

ニ代目 桂枝雀。 

桂米朝をして「二度と現れることのない天才」と言わしめた。俺の大好きな落語家。

幼少のころから「てなもんや三度笠」「吉本新喜劇」で育った俺はかなりのお笑い好き。それも上方漫才・落語が大好きだ。小学校時代は当時いわゆる“半ドン”授業が終わると(放映開始時間に間に合うため)ダッシュで家に帰って新喜劇を観ていた。俺の中ではビートルズやストーンズと同じくらい花紀京や岡八郎はヒーローであり、怒鳴り散らかす前のキレイな山田スミ子は憧れだった。

そんな俺が桂枝雀師匠を知ったのは高校時代にたまたま観ていたTV寄席だった。彼の落語は衝撃を持って俺の中に飛び込んできた。そして腹を抱えて笑った。それまで好きだった米朝や仁鶴らとはまったく笑いのギミックが異なっていた。江戸落語もそうだがストーリーテラー的表現の中に笑いのテクニックを詰め込むのが一般的と思っていた俺にとって枝雀師匠の落語はまるで一大スペクタクルであった。が、一方で何故だかほっこりした気分にもなる不思議な落語だった。以来、桂枝雀の大ファンになり多くのネタをで聴きあさっていった。


というわけでいよいよ当日、大好きな桂枝雀師匠の独演会が催される会場にやってきた。この日の音響はオペさんと俺の二人だけであった。さっそく機材の搬入から始めた。落語のPAとは云え500人規模の会場だったので機材の量もそれなりだ。オペさんが卓まわりを作り、俺はフロアSPとステージ周辺それにケーブルの引き回しの作業を始めた。

仕込み中にオペさんが俺に言った。「おい、俺たちは仕事で来てんだから客と一緒に笑ってんじゃねーぞ!何かトラブルがあったらすぐに動けるように俺の横に貼りついてろ、いいな!」と。どうやら俺が大の枝雀好きということを誰かに聞いたらしい。

一応「わかりました」とは返事をしたものの内心は『始まってしまえばこっちのもんだよ』と大きな期待をしていた。
そんなやり取りをやっていたころホールの関係者が枝雀師匠がホール入りされたことを伝えた。サウンドチェックや出囃子の打ち合わせなどをやらなければならないのでセッティングを急ぐ。てか、俺はその時『憧れの枝雀師匠に会える』という気持ちで一気に舞い上がっていたが、オペさんにそのことを悟られないように俯いてケーブルを引き回していた。

暫くして

「お疲れ様です」と、ケーブルを敷く俺の後で声がした。誰かな?と思って振り返ると、なんとそこには枝雀師匠が立っていた。しかもアルバイトの分際である俺に向かって深々と一礼をして「今日はよろしくお願いします」と、あの笑顔で云われたのだ。

あまりに突然のことであったのと、すぐ目の前に憧れの人がいて、しかもその人が俺自身に向かって話しかけているという事実が一瞬飲み込めなかった。緊張とは明らかに違う極度の興奮状態だったのかも知れない。その時、師匠の挨拶に俺がどう応えたのか、その後師匠がどのくらいその場にいたのか、どうやって楽屋まで戻っていったのか、まったく思い出せないのだけど、不思議なことに師匠が着ていた服は鮮明に覚えている。

淡いピンクのボタンダウンシャツに白いアーガイルチェックのカーディガン、ネクタイはなし。ボトムはベージュのチノパンというスタイルだった。そのアイビーファッションが神戸大学(中退)に入るほどインテリだった師匠にとても似合ってた。

これだけ服については覚えているのに、なぜかその時師匠が履いていた靴だけが思い出せない。何度も思い出そうとしてもまったく出てこない。考えられるのはやっぱりローファーだろうか?いやデッキシューズだったかも知れない。ひょっとして一旦楽屋に寄って来たとしたらスリッパ履きだったということもあり得るかな。

たぶんもう思い出すことはないだろう。


その日、桂枝雀独演会は大入りだった。

オペさんに「仕事中は笑うな」と言われたが、一番笑ってたのはオペさんだった。



この日、俺が観たのは落語史上初のカーテンコールが巻き起こった伝説の「東京歌舞伎座初独演会」を行った頃の桂枝雀師匠で、それは噺家として最も油の乗った時期だった。


そんな桂枝雀という天才落語家が突然この世を去ったのは、今から11年前の今日4月19日だった。





【宿替え】 桂枝雀

その日、トリの演目がこの「宿替え」だった。ネタとしてはスタンダードで江戸・上方ともに取り上げられているが、枝雀師匠は独自の世界観でアレンジしており他の噺家の「宿替え」とはの一線を画すほど枝雀ワールドが息づいている。ファンの中でも人気も高い演目。

ちょっと長いけど・・・

平成5年『NHK上方落語の会』であるこの動画、実はファンの中ではかなり有名である。というのもこの演目を演じていてストーリー前半の重要な部分をうっかり飛ばしてしまい物語が展開できなくなった。困った枝雀がどこをどう間違ったのかアドリブで演じながら解説を入れるのだが、これが絶妙で話を崩すことなく逆にそれが客の爆笑を誘い今では枝雀のベストパフォーマンスのひとつになっている。






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男の背中~ライダース・ジャケット

2010年02月21日 04:04

FZR2


およそ25年も前の話。

当時『バリバリマシン』というオートバイ雑誌があった。

その雑誌は一般読者が撮ったオートバイの写真や峠での走行写真などをメインに構成された投稿写真雑誌だった。80年代初頭、(オートバイの)世はまさにレーサーレプリカブーム。休日早朝の峠は国産各メーカーのレーサーレプリカマシーンに乗った若者で溢れかえっていた。まぁ、俺もそんな輩のひとりであったわけだが・・・

そんな時代であるから『バリバリマシン』はB級雑誌にもかかわらずかなりの部数が売れていたと記憶している。
この雑誌の一コーナーに“男の背中”というのがあった。マシンや走りの写真ではなく単にオートバイを絡めた後姿の投稿写真を掲載するコーナーである。俺は冗談半分にバイク乗りの哀愁が漂うこのコーナーが何気に好きで自分でも投稿しようと撮った写真が上の画像である。

実は撮ってはみたものの横に写っている友人のDT200がジャマなのとツーリング途中に撮ったのでリアに積んだバッグが雰囲気をぶち壊してるので投稿を断念したという「お蔵入り写真」なのだ。つか、今見るとこのころウェイトトレーニングをやってたので僧帽筋から三角筋にかけての盛り上がりが素晴らしいな。うっとり。

ところで、この写真で俺が着てるのはクシタニのセパレートタイプの革ツナギである。腰に頑丈なジッパーがありシーズンや目的によって上下を様々組み合わせて着れる。もっとも俺たちのようにロードレースが好きな者は真夏でも上下合わせて着るのが当たり前だった。ただツーリングなど流して走る時は下の画像のように上着を脱いで腰のあたりで袖を結びTシャツやタンクトップで走るのが流行ってたように思う。

クシタニ


バイク乗りにとって革ツナギはヘルメット同様、転倒から身を守るためのプロテクターとしてなくてはならないものである。じつは俺も、バイク乗りならご存知かと思うが高速コーナーでありがちな“ハイサイド”というバイクのコケ方としては最も悲惨な一撃を食らったことがある。路面に叩きつけられヘルメットは削れ、シールドは吹っ飛び、前方に俺のFZRがステップから火花を散らし滑っていくその後を俺がまるでマリオネットのようになすすべなくアスファルトの上を転がっていった。

頭は打ったものの幸い意識はしっかりしていて通りがかりの人にバイクを道端に寄せてもらった後、自力で病院へ行くことができた。左鎖骨と右手首の骨折、及び全身に無数の擦過傷という診断で即入院した。その時、医者が言ってたのはツナギの損傷具合から、もし革ツナギを着ていなかったら膝や肘、肩や太腿などが骨が露出するほど皮膚がえぐられていたかも知れないということだった。傷の手当てが落ち着いたので着ていたツナギを見てみると多数の削れた穴の中に革がめくれたのが何ヶ所かあった。


それから30年、オートバイ人口もかなり減ってるというニュースをちょくちょく目にする。実際俺も単車を降りて15年ほど経ってしまった。ただ俺の中で革ツナギやライダース・ジャケットというのは戦場を共にすると言ったら言い過ぎかも知れないが、ある意味生死を分かつほど重い意味のあるアイテムなのだ。


今や冬のファッション・アイテムとして定着してる“ライダース”
俺はこいつをファッションとして着たいとは思わないんだよな。どうしても思えない。でも好きなヤツはオートバイに乗ったことがなくても着ればいいと思う。背景関係なくファッションとしてだけ捉えると確かにカッコいいもんな。今やチョキだって着てるしw「ライダースって意味分かります?」ってくらいぶっ飛んだ合わせ方してるヤツもいるしね。逆にそれはそれで面白いと思ってる。

400ccか600ccか知らんが、ふん反り返ってスクーターにしか乗ったことがないくせに“バイク乗り”気取ってライダースなんか着てるヤツよりはよっぽど潔いと思うぜ。


《お蔵入りおまけ》

FZR1
これは電話帳ほどの厚さだが半分は広告だったという雑誌『オートバイ』の投稿コーナー“俺たちのサーキット”(通称:俺サ)に投稿しようとした一枚だが、コーナーのクリッピングポイントを過ぎて立ち上がり態勢に入っているのでバイクが起きているということでボツになった。決してへタレで倒しきれてないということの言い訳ではないw

Arrangement

2010年01月27日 23:54

妄想が止まない。

すでにファイブブラザーのC.P.Oジャケットはオーダーした。

さぁ、インナーだ、いんなー。シャツだ、しゃーーーーつ!


よく思うのだがファッションってのは音楽でいうアレンジメント(編曲)と似てる。というか、考え方はほぼ同じじゃないかとさえ思っている。例えばメロディから曲を作るのか?詞が先なのか?コードなのか?リフか?はたまたリズムからか?何にしてもまずひとつのモチーフから始まる。

あるメロディが浮かぶ。ちょっと憂いを帯びたフレーズだ。「よしブルージーなアレンジにしよう」。コード進行はKeyは"E7"の3コード?いや、定番でコテコテすぎるな。6thと9thを加えてちょっとお洒落な感じか?それともⅠ-Ⅳ-Ⅴを崩してT-bone風なコード進行でスローでいくか?なんてね。

ファッションもアウターから?いや今日は帽子で?靴だろう?やっぱデニムを基本にかな?それともこのシャツから?みたいにひとつのアイテムから想像が膨らんでいくものだ。音楽もファッションも他人をコピーするのもアリはアリだがコピーを十分やったらきっとオリジナルに挑戦したくなってくると思う。音楽の場合、オリジナル曲を作るとき最も大事な要素は型に縛られない自由な発想だ。「こうやったらおかしいかなぁ?」なんて全く考える必要はない。個性のない作品はクソだ!(自分で言って耳が痛いんですけど)だからといって何もかも自由にやりすぎると前衛音楽みたくなってしまって折角表現したい音楽も多くの人には聴いて貰えないことになる。

オリジナル曲を作るには曲を知らなければならない。難しい理論などは必ずしも必要ではない(ないよりあった方アドバンテージはあるが)が、ただひとつ、世にある既存の曲だけはできる限り多く聴いた方がいい。ジャンルに囚われることなくだ。好きも嫌いも関係なく。なぜならどんなに弾き語りであろうとアカペラであろうとアレンジなしでは曲として人に伝えることができないからだ。曲におけるアレンジというのは○○風な感じの曲に仕上げるというだけでなく、その曲が一番人の耳に届く、つまり人の心を打つ作品にするために曲の長さや構成、テンポ、全体のダイナミクスをどう付けるか、演奏者なら今一番必要な音は何か、ボーカルならどこでブレスを入れるべきか・・・など、これ全てアレンジという作業なのである。(また耳が痛いのはなぜw)

それらをまとめて音楽のセンスとか感性という言葉で表せば、その引き出しを満たすのはまず音楽を知ること、できれば歴史やミュージシャンの考え方まで。そして何より聴く、聴く、また聴く。それに尽きるのだ。

かなり話が音楽寄りになってしまったが・・・

まぁ、これをファッションに置き換えてもらえば実に音楽のアレンジとファッションが似てると感じて頂けるのではないか。もっとも服は楽曲の数ほど多くは着れないけどね。ファッションをどうアレンジして自分の世界観を人に伝えていくか。ただね、自分のファッション表現というのはスタイリストみたいな人間じゃないと、なかなか人に伝えたり評価される場というのがないからね。個人ファッション・ライブなんて企画見たことないしないしwいや、あれば是非見てみたいwそういう意味じゃかつての「渋カジ」などストリートファッションのムーブメントは服好きな若者達の路上ライブの場みたいなものだったんだろうね。

音楽もそうだけど60、70、80、90年代と時々で爆発し続けたけど、その爆発の影響なのか00、10年代は細かくカテゴライズされたわりにインターネットや携帯という共通の窓越しに「知識の断片」だけを効率よく取り入れて、その時瞬間瞬間を生きていっているのだろうか?それはそれで今の時代賢い方法なんだろうな・・・


話を締めようと思ったけど俺の文章の方が爆発して収集がつかなくなってしまったですよ。


まぁ、今日はあまりやることもなかった(世間でいう休みw)のでYoutubeを観つつ、C.P.Oジャケットを注文したのが嬉しくてインナーに何を合わせようかと妄想しながらWEBサイトを渡り歩きつつ、暇なので今日のブログの内容みたいなことを一人意味もなく考えていたということです。


そして、また素敵なシャツを見つけた。

舌の根も乾かぬうちに・・・は俺だろっ!

2010年01月22日 23:50

物欲が消えうせたなどとブログに書いてから24時間。


やっぱりセールはお祭りみたいなもので。

踊る阿呆にみる阿呆、同じ阿呆ならポチらにゃ損々。


というわけでひとつだけポチってみた。


この俺がセールで1ポチだけというのは
今回のクールダウンが確実に機能してたということだろう。

結局真冬用のアウターも見送った。



何をポチったかは後日報告ということで。

まぁ、それほどもったいぶる物でもないんだが、

「なんだ、またかよっ!」って言われそうでね・・・



ファッションに飽きる時

2010年01月21日 23:58

巷ではセール真っ盛り。

まぁ、あれだ。

俺みたいな服好きは別にコレといって欲しいものがなくてもセールと聞くと何か買わないとものすごく損をしたような気分になるもんなんだ。悲しいね、毎年毎年、まんまと業界の戦略に踊らされてしまってる。

今期はもう特に買うものもないかなぁ…なんて思っていたところが先日の大寒波。歳のせいか今年の冬はいつもより体に堪えていたのでアウターをもう一枚くらい買い足そうかなんて思ってしまってね。それでここ一ケ月ほど毎日WEBサイトを漁りまくっていたわけ。が、ここへ来てご存知のように春を思わせる陽気だったりとかで今さら真冬用のアウターってのもなんだかなぁて感じで。それより春先に向けて着れるようなものにした方がいいのかとも思ったりするが、まだ1月なのであと1、2回は寒波もやって来るかもしれないし、あぁどうしよう?みたいな優柔不断な今日この頃、みなさん如何お過ごしですか?

そんなわけで、あーでもないこーでもないと迷い続けてたわけだが、俺の場合極端に迷ってしまうとだんだん面倒になり、ある時点からどうでもよくなってしまう傾向がある。そしてそれ以降パッタリと興味がなくなる。今がそんな状態。

大きな意味で言えば現在ファッション全てに興味がいかなくなってしまった。極度に迷ったり悩んだりすることで物欲が臨界点に達しファッションに関する思考回路がすべてダウンしたようである。ファッションに限らず同じようなことは仕事や音楽、ひどい時には人間関係や自分自身にさえ興味がなくなることがある。まぁ、これは俺にとってネガティヴなことじゃないんだ。一時的に脳内の一部を活動停止状態にして加熱した気持ちを無意識にクールダウンさせているようなもんだ。

ここ数日は毎日欠かさず巡回しているファッション系のサイト(ブログ以外)もまったく見ることなく、仕事以外は部屋にこもりっきりでギターを弾いたり、CDを聴いたり、映画を観たりして過ごしている。

まぁ、人間には波があるからね。そう、逆らわないこと。

そのうちまた物欲魔と化すまでの間ね。



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